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〜天水が生んだ俳優 日本のおじいちゃん「笠智衆」〜
   
俳優 笠智衆(りゅう・ちしゅう)
明治37年(1904年)5月13日、熊本県玉名郡玉水村立花(現玉名市天水町立花)の来照寺住職の息子として笠智衆さんは生まれました。
  玉水小,玉名中(現玉名高)を卒業後、竜谷大から東洋大印度哲学倫理学科へ転学しました。大正4年2月に松竹キネマ蒲田撮影所の俳優研究所研究生一期生募集に合格し、ここに俳優 笠智衆が誕生しました。 しかしその年の7月、父死去のため帰郷し、住職を継ぎましたが、翌年には住職を兄に譲り、撮影所に復帰しました。
  それから約10年もの大部屋生活後、小津安二郎監督作品で認められ、小津作品は全作品に出演、数々の名作を生みました。
  昭和23、26、45年には毎日映画コンクール助演男優賞、26年ブルーリボン賞助演男優賞、42年紫綬褒章、50年勲四等旭日小綬章をそれぞれ受賞されました。
       
 
  玉名中入学時 玉名中卒業時 笠智衆生家 来照寺

天水町名誉町民となる
昭和63年9月に天水町(当時)の名誉町民に選ばれました。そしてその年の11月、東京銀座の銀座熊本館での「天水みかん」キャンペーンで在京天水出身者の集いに来臨され、名誉町民賞の授与が行われました。それから2年後の平成2年、天水町民の熱烈な歓迎を受けて、天水町に待望の里帰りを果たされました。 それからも天水町とは深いかかわりを持たれ、平成2年10月1日の町制施行30周年記念誌「天水古今物語」発行の際にも鎌倉の自宅で取材が行われました。
 

天水町に建立された笠智衆記念碑
笠智衆生誕記念碑
晩年は「日本のおじいちゃん」として全国的に親しまれ、忘れられつつある良き日本人をスクリーンで、そして自らの人生そのもので演じ続けましたが、平成5年3月16日、惜しまれながら俳優 笠智衆は生涯俳優のまま88歳で永遠の眠りにつきました。
天水町では町内小学校体育館にて町葬が挙行され、多くの町民やファンが最期のお別れを惜しみました。 さらに後日行われた追悼映画祭では全国から訪れた多くのファンが展示された遺品や上映された映画などで在りし日の笠智衆さんを偲びました。
そして、平成7年3月16日の命日、この記念碑が生家である来照寺の一角に建立されました。
そんな笠さんを讃え、平成2年から16年まで、天水町では「笠智衆映画祭」も開催されました。 現在は、草枕温泉のホールに写真などを掲示、草枕交流館で毎年、遺品や資料展が開催されています。
名優 笠智衆はいつまでもフィルムの中で、ファンの心の中で、生き続けているのです。
   

生家来照寺にて笠智衆映画祭

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